WANT TO と HAVE TO の間にはさまれて

ベトナム駐在中 ~WANT TO と HAVE TO の間にはさまれて~

やりたいことたくさん、やらなきゃならないことたくさん

5月19日 130回目の誕生日

さがみさがなかです。

 

コロナウイルスの影響も落ち着き、

日常生活に戻りつつあるベトナムです。

マスクをしない人もたくさんいて、また感染者が発生しない事を願うばかり。

 

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さて、5月19ですがベトナム建国の父

胡志明(ホー チ ミン)の130回目の誕生日でした。

ベトナムドンでも、像としてもあちこちでお目にかかることが出来る、このおじさん。

 

ワタクシは、ベトナム戦争の頃に活躍した革命家、程度にしか、知りませんでした。

 

ベトナムに滞在しているのに、

これでは勿体ないので、

この優しい顔したちょび髭のホーおじさんがどんな人だったのか、

自分の学習を兼ねて完結にまとめてみました。

 

 

①幼少期〜10代  中国語にフランス語

1890年 ベトナム中部で生まれ

儒学者の父を持つ。中国語を習得、学生時代はフランス語も学ぶが、農民運動に参加し、退学処分。

この頃のベトナムは、フランスの植民地時代

 

②20代 海外放浪、価値観の形成

船の見習いコックとなり、初めての外国へ。同時にフランスへ。

ここで、植民地本国においても貧富の差があることを知る。これがこの先に影響を与える。

その後、船員となりヨーロッパ諸国、アメリカ等を回った後、英語を学ぶため、イギリスに移住、数年後、フランスに戻る。そして政治の世界へ。

 

③30代 革命家としてのはじまり

フランス社会党に入党。

安南愛国者協会を組織し、事務局長になる。この時、第一次世界大戦の講和会議である、パリ講和会議が開催。

会議に出席し、植民地のベトナム人も本国フランス人と同等の権利の保証を求めた請願書を出す。請願書は採択されなかったが、ナショナリストとしての名前が広がっていく。

フランス共産党の結成に参加。

その後はソビエト連邦に渡り、 共産主義運動の指導組織「コミンテルン」に加わる

これより、共産主義者となるが、一番の課題はベトナムが植民地から独立すること。

 

④40代 共産党

ベトナム共産党を香港にて創立。

ただし、共産主義者の中で、民族独立重視の姿勢は、異端児扱いされ、表に出られなくなる。後に、コミンテルンで民族問題を重視するようになり、風向きが変わり始める。

 

 ⑤50代 なんと、30年ぶりにベトナムへ戻る、そしていよいよ活躍

ベトナム独立同盟会

 第二次世界大戦の真っ最中。フランスがドイツに占領されたため、

ドイツの同盟国であった当時の大日本帝国ベトナムを統治し始めた矢先、

ベトナム独立のための、「ベトナム独立同盟会」を組織しその主席となる。

日本軍と戦い始めたものの、弱かった。中国に助けを求めようとしたが、

共産党を嫌う、国民党に拘束される。

ベトナム民主共和国を建国、独立を主張するが、

この後、日本が降伏した際、無政府状態ベトナムで、民衆蜂起のアピールを行っていく。その後、ハノイにてベトナム独立宣言を発表、ベトナム民主共和国を建国。

しかし、国際的承認を得られずに孤立。一方で南部は、再びフランスの支配下へ。

ベトナムの独立をフランスへ主張し続けたが、交渉は決裂した。

フランスとの第一次インドシナ戦争へ突入する。

 

⑥60代 フランスの植民地支配から抜けるものの、

第一次インドシナ戦争は、7年間も続き、「全国民に抗戦を訴える」を発表し、

徹底抗戦に入る。激しい戦いの末に、フランスの支配は終了した。

この間、ベトナム労働党を結成、党と国家の最高指導者となる。

一方で、南北統一において、ホー チ ミンは平和的な方法を取ろうとしたが、

武力で統一をしようとした側との意見対立から、外交担当に専念する。

 

⓻70代 ベトナム戦争が始まる

ここで、アメリカの後ろ盾もあり南部にベトナム共和国が成立。

北部の独裁政治に対し、南ベトナム解放民族戦線が結成され、ベトナム戦争が勃発。

この時は、リーダーシップの発揮は少ないが、ベトナム人民を鼓舞し続けた。

「独立と自由ほど尊いものはない」と呼びかけた。

そして、1969年に79歳で死去。

 その6年後に、ベトナム戦争終結、本当の南北統一が実現し、

 南ベトナムの首都「サイゴン」は「ホーチミン」へと名前が変わりました。

 

少々長くなりましたが、ネット情報からまとめてみました。

 

共産主義を広めた独立・革命家と、勝手に思っていました。

諸説があるようですが、フランスやアメリカの憲法を参考にして、共産党一辺倒にならないような憲法を作っていたこと、そして、腐敗、汚職、粛清等、自身の神格化を嫌い、慈愛に満ちた人柄、間違いなく今のベトナムに根付いていることを感じさせてくれました。

 

今の時代に生きていたら、どんなインフルエンサーとして、活躍されているのだろう?

お隣中国に対し、南沙諸島問題に、立ち向かっていくのか、色々想像してしまいます。

 

これくらいで終わりにしたいと思います。

お付き合い頂きありがとうございました。

 

なお、5月19日は祝日でもなく、一部でお祝いがされるものの、

ベトナム人スタッフや友達に聞いたところ、普通の日のようです。

 また、YouTube等でも、ホーおじさんの歌がたくさん出てきます。