WANT TO と HAVE TO の間にはさまれて

WANT TO と HAVE TO の間にいます

ベトナム勤務7年目

【出来ることは?】長女が部活のストレスで学校に行けなくなる

1月も本日が最終日。

10℃を下回った日も、もう無さそうなので、快適に過ごせそうです。

後2か月でベトナム生活も終わりなので、とにかく一瞬一瞬を大切に。

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日本への本帰国が控えていますが、

楽しみにしていたのは本帰国直前の、テト休み一時帰国。

 

(最後の) 一時帰国では、

何をしよう、何を食べよう。どこに行こう。

あと、クルマを見に行ったり。

 

なんて、のんびり考えていたわけです。

 

 

 

ところが、

 

 

 

長女が(部活の)ストレスで早退したり、

保健室に行ってしまったり、あげく頭痛や腹痛で休んだりというのが、

今年に入ってから特に目立つようになったと妻から聞いて、

これは、イージーモードの一時帰国から一転、

ハードモードになる予感が。

 

 

背景を説明しますと、

 

長女は9月頭の2学期から新しい中学校へ、

ハノイ日本人学校とは全く別世界、クラスには慣れたようで、

次、部活はどうしようと、

 

 

 

お目当てのバトミントン部は無く、

5:5でプレーする球技の、「とある部活」 を選びました。

 

プライバシーの配慮ということで、部活名は書きません

 

入った理由は、長女曰く、楽しそうで、初心者歓迎とあったからとのこと。

 

 

入ってみたら、土日の練習試合に、そのサポート、朝練、話し合いや打ち上げ、

週2の塾と合わせて、結構激しく過ごしています。

 

ちなみに生徒だけで、打ち上げに行っていたみたい。理解できない。

 

 

ハノイの頃は、週一の塾とダンスだけ、

加えて

一人で出かけることの出来ない環境、

極端に言えば、180度違うわけです。

 

 

1年生は5人。

新人大会が2月にあるということで、練習だらけの日々が続きます。

何もかも全く経験したことのない世界、苦労が続いていたようです。

 

もう少し習い事をさせておけばよかったと、今更ながら後悔。

 

 

一番の問題は、メンバー。

 

 

聞くところ、

 

①小学校の頃から問題児だったのが、チームを仕切っていて、

②そこにつく腰巾着、

③特徴が無いけどうまい一人、

④長女と仲が良くて、うまいけどプライベートでの別のスポーツが優先の一人

⑤長女。経験なし、要領が良いとは言えない、ただ明るい

 

 

休みの練習、(よくわからないけど)長い話し合い、

加えて①や②に、厳しく当たられることが多いようで、それが

相当なストレスに。

 

④と⑤は別のスポーツや塾があるので、休みの練習には参加できないというと

 

「やる気が無い、さぼっている」と、非難。

 

昔もこんな奴いたなー

 

悪いムードが続き、そのストレスからか③も④と⑤の側に入り、

3人とも、部活を辞めたい とのこと。

 

 

もう一つの問題は、部活の体制。

 

 

(聞くところ)

顧問は3人いるけれども、あまり管理しているような様子は見られない。

なにより顧問も、見て覚えろと言った感じで、あまり指導もないよう。

この状況を把握している様子すらない、とのこと。

 

 

チームワークやマネジメントが一番大切なのに、よくわからない。

 

 

 

部活が嫌と言い出したのが、昨年12月位か。

なんとか行っていたみたいですが、

長女は身体の不調が出始め、ついに学校までに行けなくなる。

 

 

予想外の話に、

大きなショックと学校の対応について疑問を感じるのでした。

 

 

本人は、迷惑が掛かるので、

新人大会が終わるまで続けると言っているようですが、

もはや、そんなレベルではない。

 

 

本人も、①と②にはとてもじゃないけど、言えない。

本人の懸念は、

辞めることで、出場出来なくなったりした場合に

「後で何を言われるかわからない」ということ。

 

 

妻の方が学校に話を持って行き、解決に向けて動くことになりました。

まだ終わっておりませんが、①と②には、顧問の先生に説明してもらうこと、

良かったのは、一人辞めても新人大会には出場出来るということ。

③と④も2年生からは別の部活に入ろうとしています。

 

早いところ、この部活 (というか、メンバーが原因) からは離れて、

もとの生活に向けて、進んでほしいところです。

 

 

 

中学の部活って、

そもそも、小学校までは無かった、先輩後輩といういきなりの上下関係、

「やる気ないとか、さぼるとか」言う奴がいたり、

顧問の厳しすぎる指導や、イジメもあったり、

 

そう思うと、会社組織の縮図みたい。

 

 

 

振り返れば、自分自身、居場所でもあったけど、

陸上部です

中一、中二の頃は、時々ストレスになっていた気がします。

 

 

 

 

物理的な距離があるなか、

 

ワタクシ自身【出来ることは?】

 

 

アドバイスなんかせず、

とにかく聴いてあげること。

 

それで、長女の気持ちが少しでも楽になれたら、もう十分。

 

 

あと、自分自身のマインドとして、

 

最悪、このまま学校に通えなくなり、

不登校になる」という可能性だってあり得るのだから、

そんな状況も考え、広い視野を持たなければならない。

 

 

まだまだ長いどころか、始まったばかりの長女の人生。

学校の部活だけがすべてでは無い。

いわば、コップの中の嵐

 

ここを乗り越えて人の痛みがわかる、

強い人間になっていってほしいものです。

【さようなら、先輩】スーパーカブ50のお話し

毎年思うのですが、旧正月の国ゆえに、年末といった感じが全くしません。12月31日も平日。

そんな不思議な感覚を味わうのも、7回目。

そして、これが最後です。

なぜなら、実は私、来年の3月末で帰任することが決まったからです。

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帰任に伴い、引継ぎ含め、準備を始めました。

その中の一つに、愛車であるスーパーカブを手放すプロセスがあります。

今日は、そのスーパーカブのお話。

 

 

 

このバイクを手に入れたのは、2022年10月でした。

 

 

sagamisaganaka.hatenablog.jp

 


そこから、ヘッドライトが暗く、セルモーターも途中からは使えず、対策として6Vから12Vへの改造を行ったり、子どもの塾の送り迎えに使ったり、日本からタイヤを購入して交換したりと、日常の中でずっと一緒に過ごしてきました。

タイヤのレビューはこれまで書いていませんでしたが、私が選んだのはミシュラン・アナキーストリートというオン・オフ両用タイプのタイヤです。路面状況の悪いハノイの道路や裏道でも、安定したグリップを発揮してくれました。

 


このバイクは50ccですが、エンジンは本当に気持ちよく回り、乗っていてとても楽しい一台でした。

年式の関係でスピードリミッターが装着されておらず、メーターは60kmで振り切れ、90kmスケールの中で実測70km程度までは確認しました。

(もちろん危険なので、路面状況の良い長い直線でのみ試しましたが)

 


もう一つの魅力は、自動遠心クラッチの4速マニュアルであることです。

とにかく運転が楽しい。

歴代スーパーカブ50の中でも、一番出力の高かったモデルのようで、カタログスペックでは5.5馬力、9,000回転まで回るとされています。排気量の大きい100〜110ccクラスのバイクに混ざっても、しっかりと流れに乗って走ってくれました。

 


最初は正直、見た目があまり好きではありませんでした。

しかし次第にそのデザインにも慣れ、何より1982年に宮崎県で購入され、1997年に「日本から来た中古車」であるという点がとても気に入り、次第に強い愛着が湧いてきました。

 


一方で、困ったこともありました。それは、前輪のパンクがやたらと多かったことです。

最近になって、ハノイに日系のバイク屋さんがあることを知り、相談に行ったところ、なんとリムバンドが入っていなかったことが判明しました。

 

南部はわかりませんが、ハノイ市では唯一の日本人経営のバイク屋とのこと。



そのお店は、以前住んでいた家から歩いて10分ほどの場所にあり、2年前にオープンしたとのことです。

「もっと早くここに来ていれば…」と、最後の最後になって後悔しました。

 

 

 


このお店を訪れたきっかけは、バイクを知人に譲るにあたり、少しでも良い状態で引き渡したいと思ったからです。

 

点検、滑っていたクラッチの交換、キャブレターの清掃、ウインカーの交換、

チェーンカバーやスプロケットカバーを塗装して頂いたりと、最終的には本当に調子の良いバイクになりました。

 

ただ不思議なことに、エンジンの回り方は6ボルト時代が一番軽快だったように感じます。12Vへの改造後は、トルクが太くなり、高回転まで伸びる感じは少し薄れた気がしました。それは今回のメンテナンスでも同様の感じでした。

 


このバイクのおかげで、子どもたちとのコミュニケーションはとても良いものになりました。

毎週土曜日、学校のことを聞きながら一緒に走りました。思春期に入った長女は学校での悩みも多く、その話をよく聞いていました。

 

バイクの良いところは、近い距離で、同じ方向を向きながら話せることだと思います。

 

長女にとっては、後ろに乗る時間が悩み相談やストレス発散の場だったのかもしれません。塾の帰りはスーパーでお菓子を買って、食べながら後ろに乗っていました。

 

家にクルマがあったことを知らない次女に至っては、「ベトナムで一番好きな乗り物は家のバイク」と言うほどでした。

 

結果として、我が家の娘たちは二人ともバイクが大好きになりました。

 


妻もマイヘルメットを持ってバイクタクシーに乗るほどで、我が家は完全に“バイク好きな家族”だったと思います。

 

 

後になって知ったことですが、親会社にはバイク免許取得や所有関する制限がなく、110ccや125cc、さらには155ccまで乗ることができたそうです。

それを最初に知っていれば、もっと大きなバイクに乗っていたかもしれません。

 


とはいえ、免許のいらない50ccで探したからこそ、この出会いがあったのだと思います。

 

 

 

一般的な駐在員家庭では、バイクに乗る以前にバイクタクシーすら禁止されているケースも多いですが、ルールのない自分の会社には、ある意味恵まれていたと感じます。

とはいえ、所有していることも乗っていることも、報告はしていませんし、とにかく安全第一で過ごしました。

 

周囲の子どもたちからも「うらやましい」と言われていたようで、本当に貴重な経験でした。

 


遠回りをしながらの生活でしたが、このバイクには心から感謝しています。

 

以前のブログでも書きましたが、「生活に彩りを与えてくれる」という言葉は本当でした。

 

 

sagamisaganaka.hatenablog.jp

 


本当は、このバイクを日本に持ち帰るつもりでした。今年3月初め、帰国を見据えて調べ始めたのですが、ベトナムからバイクを国外へ持ち出すには、いくつものハードルがありました。

 

日本語が堪能な元スタッフに調査を依頼し、実際に交通警察署を2か所回りました。

このバイクは1997年に中古で輸入されて以来、一度も名義変更されないまま約30年が経過していました。

 

そのため、名義変更 → 抹消手続き → 公安の許可という流れが必要になります。しかしベトナムでは、使用者と名義人が同一でなければならず、すでに法律違反の状態でした。

結果として、名義変更には罰金が必要となり、その額は5,000,000VND (約30,000円)。

同僚のベトナム人だけでなく、交通警察の職員からも「そんな古いバイクに罰金を払うより、新しいバイクを買ったほうがいい」と言われました。

このバイクの良さを伝えるのは、なかなか難しいようです。

 


ちなみにこのバイクには、1980年代に東南アジア向けとして70ccモデルが発売され、ベトナムにも輸入されていたようです。

当時で、これを所有しているのは富の象徴であったようです。

 

そのため意外と知名度があり、若い人でも「CUB82」と言えば知っている人が多い印象でした。

このバイクを使ったツアーも存在するようです。

tuoitre 新聞によるツアーの紹介記事から

tuoitre 新聞によるツアーの紹介記事から

news.tuoitre.vn

 


赤い外装のこのバイクは、今見ても本当に素敵です。

 

ベトナムの通販サイトでは外装キットも販売されており、一瞬カスタムを考えたこともありました。

 

ベトナム通販より、セットで4,000円程と格安。

 

また、このスーパーカブ50スーパーデラックスには、エンジンが黒で外装が赤い「赤カブ」と呼ばれるモデルもあったそうですね。

 

ホンダ website Cub Stories より


スーパーカブといえば丸いヘッドライトのイメージでしたが、四角いヘッドライトのこのモデルも、今では決して悪くないと思えるようになりました。

 


結局、新居(神奈川県某所)にはバイク置き場がなく、持ち帰ることは断念しました。

そこで、できるだけ信頼できる方に譲りたいと考え、知り合いの日本人の方がもう一台探しているということで、お譲りすることにしました。

 


2025年12月26日、会社を午前で早退し、午後にバイク屋さんへ引き取りに行きました。

ピカピカに整備され、クラッチも交換され、走りは驚くほど軽くなっていました。

 

最後のプチツーリングです。



湖畔で夜景をバックに

 

知り合いの家の駐輪場にて、お別れ。

 

ラストツーリングをしながら、そのまま新しいオーナーのご自宅まで届け、そこでこのバイクとお別れをしました。

 

 

 

 

最後に燃費を測ったら、リッター20km。

新車時はリッター130km (30km走行条件で) 

新車時の2割以下。

良く走ってくれるけど、これを見ると本調子では無いのだろうと

思いました。

 

 

 


振り返ると、これまで

ヤマハDT50、ホンダXLR125R、スズキ・ジェベル200、ホンダ・スペイシー100

と4台のバイクに乗ってきましたが、どれも所有期間は1年ほどでした。

 


最も長く一緒に過ごしたのは、このスーパーカブ50スーパーデラックスです。

 


日本ではしばらくバイクに乗れませんが、いつか場所と時間が許せば、また所有したい。そう思わせてくれた一台でした。

1982年式、私より2歳年上のこのバイク――いや、この“先輩”に、心から感謝を込めて。


ありがとう。そして、【さようなら、先輩】

【新生活と新しい考え】前回ブログから、今までを振り返る(4)-2 

ブログをお休みしていた期間、25年2月~10月までを振り返った記録ブログ。

4回の予定が5回に分かれて、今回が最後です。

 

2025年 3-4月分 

【方針が決まる】前回ブログから、今までを振り返る(1)

2025年 5-6月分 

【苦労と一時帰国】前回ブログから、今までを振り返る(2) 

2025年 7-8月 

マイルストーン】前回ブログから、今までを振り返る(3) 

2025年 9-10月

【新生活と新しい考え】前回ブログから、今までを振り返る(4)-1 

 

2025年 9-10月 

【新生活と新しい考え】前回ブログから、今までを振り返る(4)-2 

 

※今回は前回の続きです。

 

 

9月27-28日、土日2日間で、2年間住んだマンションから、引っ越ししました。

 

家探しを行う時間が無く、

会社のスタッフに頼んで、いくつか探してもらい、既にAirbnbで泊って、感覚は

分かったので、写真だけで判断しました。

 

これが、後の大きな失敗に繋がります。

 

 

9月27日土曜日

 

自転車、バイク、それぞれ運びます。

先ずは自転車を運び、現地にいる

 

自転車とバイクを2回に分けて運びます。先ずは、自転車から。

 

不動産会社の学生アルバイト(?)が、対応してくれます。

英語と片言のベトナム語で、コミュニケーションはなんとかなりそう。

 

この日は、自転車とバイクの運び込みで終了。家に帰って、パッキングです。

翌日は昼から、会社のクルマを使って、複数回に分けて運ぶことになっています。

 

一人暮らしとはいえ、結構な量の荷物。

忙しくて、何も出来ていなかったため、相当な量にうんざり。

間に合うのか心配になります。

 

加えて、どうしても月曜日には終わらせなければならない仕事もあり、

軽くパニックでした。

 

途中、アルコールを補給しつつ、翌日昼までに仕事含め、ある程度片づけました。

 

9月28日日曜日

 

翌日昼、あいにくの雨ですが、第一便の荷物を持って、新しい家に向かいます。

部屋に入るのは初めて、実際はどんな感じなのでしょう。

 

玄関のロビーで、「少し待ってくれ」と、

昨日の学生アルバイトが言ってきます。

 

部屋に入ると、まぁ汚い。

 

ドロドロ。

 

本来、清掃しているはずでは?

 

どうも、さっきまで入居していた人が土足で片づけていたためのようです。

当然靴を脱ぐ気にもなれず、仕方なく、自分も土足で入り、持ってきた

クイックルワイパーで掃除を行います。

 

家のあちこちに、クレヨンしんちゃんのステッカーが貼られています。

トイレのフタまで。

 

 

もう、この時点で外れの予感。

 

 

住んでいた方(自分より年下と思われる女性)とすれ違ったのですが、

とにかく汚い家です。水回りも、そして埃だらけ。

 

 

下見をしておけばよかった。

 

 

と、この時初めて後悔しました。

 

 

前住民のせいなのか、小さいゴキブリが2~3匹ほどいたので、

ゴキブリ除けを買いに行くのと、

この日は、インターネットが使えないこともあり、

一旦前の家に戻り、残った荷物をゆっくり片づけて、夜に戻ってこよう。

ということで、部屋を後にしました。

 

退去。2年間有難う。

 

広い部屋を片付けていたら、戻りたく無くなって、

カラッポの部屋で、一晩過ごして、翌朝、新しい部屋の方へ移動しました。

 

 

入った途端、引き出しや隙間に、またしてもゴキブリがいます。

あちこちに殺虫剤を吹き付けました。

 

 

オーナーらしき、おじさんがやって来て、

 

「良い家だろ、○○(ワタクシの前の家)より繁華街が近くて便利、このまま快適に過ごせる」

 

みたいな、偉そうな自慢ばかり。

絶対、友人とか居なさそう。

 

ゴキブリが多いことを伝えたら、

 

「どこもこんなもの」って聞く耳を持たず。。。

 

 

ようやく清掃業者が入ってきて、部屋の大掃除、

浄水器の設置、インターネットの工事等、バタバタし始めます。

 

ようやく家らしくなってきました。

 

ゴキブリが時々出てくるのは気になりましたが、

それ以外にも、厚さ5cm位しかないマットレス(ベトナムは結構多い) にもうんざり。

硬くてまともに眠れる気がしません。。。

 

何かと不安になってきました。

 

この日は、家の引っ越しのため、在宅扱いにしております。

今のところ最後の「新しい景色を見るための活動」として、面接を受けました。

 

神奈川県にある某バッテリーメーカーの海外営業です。

 

面接自体はスムーズでしたが、

そもそも自分自身の方針が変わり、すっかりモチベーションが無くなってしまい、

言動こそ気を付けたものの、少ない熱意として伝わったように思いました。。

 

案の定、ここで選考はお見送り。

これを以て、活動は停止しました。

 

台風11号の影響で、市内の道路はあちこち冠水。

翌日は台風11号が来ており、暴風被害は無かったものの、

市内は大雨であちこち冠水。大渋滞。

普段、クルマで1時間15分位の帰宅が、5時間も掛かるという。

最悪の通勤でした。

 

冠水路を走るバイク。後ろに乗りながら転倒しないことを祈るばかり。


翌日夜はどうしても出かける予定があり、タクシーが取れないため

やむなくバイクタクシーで。

全然水が引いておらず、迂回しながら、最後は冠水路を走って、目的地へ。

 

 

台風11号は、北部の山岳地帯で大きな被害を出しました。

 

2020年に来た時は台風の発生すらなかったのに、

昨年の台風と言い、改めて気候変動を感じさせます。

 

 

sagamisaganaka.hatenablog.jp

 

新しい部屋に移り、4日が経過しました。

 

部屋も、オーナーの印象も良くなく、3日目で引っ越すことを決めました。

 

 

新しい部屋は、まだ改装中ですが、1週間後に入居可能とのこと。

埃だらけの工事中の部屋を見て、どうなるかはわかりませんが、

ゴキブリハウス (自分でこう呼ぶようになった) よりかはマシと、判断。

オーナー(30代前半の夫婦)の印象も悪くない。

 

 

改めて、下見を行わなかったことを激しく後悔。。。

 

 

固いベッドのせいで、夜に目が覚めることが増えました。

 

起きて電気を点けたら、

お決まりと言っていいほど、小さいゴキブリが歩いています。

 

ベトナム製のゴキブリのエサは全然効果が無いようです。

 

水回りとは関係ないベッドやテレビの下からも出てくるので、

どこかに巣でもあるのでしょうか??

 

1日で、10匹近く駆除した日も。

 

仕事も忙しいのに、安眠出来ない、ゴキブリ駆除も行わなければならない。

 

限界に達しました。

 

 

8月に泊まった、Airbnbのオーナーとは直接連絡を取れるようにしていたので、

部屋が空いていないか問い合わせたら、別の部屋だが空いているとのこと。

 

 

 

自腹で、別の部屋へ避難します。

 

①8月のAirbnb  21階

②ゴキブリハウス 同じく21階

③今回のAirbnb  16階

④新しい部屋 29階

 

同じマンションの中を動き回っています。

 

金曜日の深夜、台車も無い中、5往復して、16階の部屋へ全ての荷物を移動させました。

 

部屋に入ると、隅に光ったものが。チャバネゴキブリでした。

 

速攻で、駆除、トイレに流しました。

この部屋はゴミ捨て場が近く、ゴキブリが結構います。

ゴミ出しのマナーも悪く、酷いものです。

 

 

そしてワタクシ、もはや、ゴキブリハンターです。

 

 

近くに、アース製薬のコンバットが売っているのを発見し、

1つ設置しました。

 

宿泊用だけにベッドもふかふかで、ようやく安眠が出来ました。

 

 

画像には映っていませんが、部屋の半分位が荷物で埋まっています。

快適な部屋。安眠出来るようになりました。

部屋からの景色。なかなか良かったです。このままこの部屋に暮らしたいくらい。

 

1週間程、この部屋で過ごしました。

 

ゴキブリハウスのオーナーからは、

数日で出ていくとは迷惑だとか、ごちゃごちゃ言ってきましたが

全て無視しました。

 

 

そして、ようやく新しい部屋の準備が出来たので、最後の引っ越しです。

 

 

家具等がまだ無く、ある程度要望に応えてくれるということで

いくつかリクエストしました。

 

①テレビは見ないので、テレビ台は不要。

 仕事しやすいような、机と椅子を用意してほしい。

 

②湿度が70パーセント程度あり、除湿器の設置。

 

冷蔵庫やIHヒーターの設置前。すっきりした感じの部屋です。

まだベッドが無いため、広々しています。

これは?

大して期待しておりませんでしたが、仕事用の机と椅子は、予想以上に

簡素なものでした。

 

画像はありませんが、ベッドはゴキブリハウスと同じ、

薄くて硬いマットレスでした。慣れるか不安ですが、まぁ、数カ月の生活なので、割り切りましょう。

 

狭い部屋にコンバットを10個以上設置し、ゴキブリ対策をしっかり行います。

 

 

この後、水漏れや電気が点かなかったり、

インターネットの調子が悪くなったり、

電子レンジが届くまで時間が掛かったり、

 

入居後暫くの間、色々トラブルもありましたが、

ようやく生活が安定してきました。

 

 

ゴキブリについては、廊下を歩いているのを見かけてからは、

玄関の隙間を埋めて、侵入は大きく減りました。

 

 

16Fの家に避難した際、

 

「新しい景色を見るための活動」は、一旦終了したものの、

精神的にも病んでしまい、なんか気分が晴れない、

久しぶりにKindleで本でも読もう。

 

 

と、色々探していたら、こんな本に出会いました。

 

『人生後半の働き方戦略 - 幸福年収700万円を続けるために』

 

小説でも読もうと思っていたのに、タイトルに惹かれて、

概要を読んでみると、非常に興味深い内容で、即購入に至りました、

 

 

 

あなたは80歳まで年収700万円を稼ぎ続けられるか

 

まるで、電気が流れたかのように、

この一文に釘付け、動けなくなりました。

 

 

「新しい景色を見るための活動」なんて言ってきたけど、

どこに努めようが、せいぜい60歳半ば~後半で

自営業または会社経営でもない限り、リタイアです。

そして、雇われである限り、働ける期間や場所に制約があります。

 

現職に留まろうが、「新しい景色」に良いところがあったとしても、

どちらも同じで、場所の制約もあり、そして結局は働ける期間は終わってしまうのです。

 

 

それより、細く長く、80歳まで現役で働ける体制を今から作っていくには、

どうしたら良いか。

そんなことが書かれていました。

 

ちなみに副業ではなく、複業。

二足の草鞋ならぬ、三足も四足も履いて、幅広く働くことのようです。

 

 

無料コンサルティングがあるらしい。

 

 

10か月に渡る、「新しい景色を見るための活動」を経て

自分の職歴を振り返り、自己PRを生成することが出来ました。

コンサルティングにて、これから生きていくうえで何かヒントがあるかも。と、

 

 

最後の引っ越しが終わった日曜日の夜、10月12日

オンラインのコンサルティングを受けました。

 

 

ワタクシのベトナムでの経験を一通り話して、

 

世の中困っている人たちや、(中小)企業がたくさんあり、

ベトナム含めた東南アジアの進出サポート、越境ECサポート等のビジネスアドバイザー

はピッタリだと。

 

1社に留まるのではなく、ベトナムの経験は多くの人や企業を助けることになる。

 

とコンサルの方からコメントを頂きました。

 

 

親会社は副業自体をダメとはしていませんが、届出が必要としております。

※実家の農家、SNS等での広告収入なんかはOK

 

どこまでの複業が出来るのかはわかりませんが、

スポットコンサル、副業クラウド、スキルシフト等、多数

 

案件単位かつオンラインで働けるプラットフォームがあることも知りました。

 

収入を得るのが難しければ、プロボノとして無償で働くことも出来、

これはこれで、自分の能力を試したり、色々な出会いがあったり、

将来の糧になりそうです。

 

 

だけど、どうやって自分自身を売り込むのだろう?

 

 

コンサルティングの際に、

本を出版した会社である、株式会社ライフシフトラボが行っている

複業起業コースの紹介を受けました。

 

 

自分自身の能力を発掘したり、売り込み方を考えたり、Aiの活用や

複業プラットフォームの使い方等、

色々教えてもらえるようです。

 

 

 

お値段は、\398,000

 

 

 

うーん、結構高い。

 

 

 

回収出来るのだろうか?

 

 

仕事の忙しさに負けて、参加出来るのだろうか?

 

 

 

だけど、人生は一度切り、

後で後悔はしたくない。

 

 

自分自身、いや自分の人生への投資としてやってみよう。

 

 

 

思った以上に早い判断でした。

 

 

 

 

過去ブログにて、

 

いつかベトナムで、自分のビジネスをやってみたい。

 

sagamisaganaka.hatenablog.jp

 

そんなことを書いていました。

 

 

 

しばらく頭の片隅には残っていたものの、

「新しい景色を見るため」、隅っこに追いやられてしまっておりました

 

が、今回の複業というもの、別の働き方があることを知り、

 

4年前の、「あの時、突然現れた夢」を思い出しました。

 

日本に帰りたい、クルマ趣味を楽しみたいなんて、言ったけど、

やっぱりベトナムが好き。

そして、何か自分のビジネスをやってみたい。

その気持ちは残っておりました。

 

 

 

日本に一旦戻り、様々な複業を経験して、夢に向けて動き出そう。

そして、「新しい景色を見るための活動」は、苦労ばかりで、結果は出なかったけど、

決して無駄ではなかった。

 

このように、思うことにしましょう。

 

 

8か月間をブログ5回で振り返りました。

長い内容でしたが、これにて、終わります。

 

 

最後に、

 

ギックリ腰から回復して参加したボールホッケー、

再びプレー中にケガをしました。

寝返りを打てない位の痛みに耐えながら、41歳の誕生日を迎えました。

湿布で我慢していましたが、肋骨2本を骨折、

1カ月間スポーツは停止です。。。

あぁ、これが本厄なのかなぁ。

 

【新生活と新しい考え】前回ブログから、今までを振り返る(4)-1 

ベトナムにやって来て、先月末で丸6年。

7年目に突入しました。今更ながらに思う、時が過ぎる早さ。。。

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前回ブログ 25年2月から、今に至るまでの記録ブログ。

4回に分けて、今回が最後です。

 

2025年 3-4月分 

【方針が決まる】前回ブログから、今までを振り返る(1)

2025年 5-6月分 

【苦労と一時帰国】前回ブログから、今までを振り返る(2) 

2025年 7-8月 

マイルストーン】前回ブログから、今までを振り返る(3) 

 

2025年 9-10月 

【新生活と新しい考え】前回ブログから、今までを振り返る(4)-1 

 

※今回の記事は長いので、①と②の2回に分けます。

 

8月の頭に、日本から戻ってきて、気が付けば8月下旬。

今住んでいる、3ベッドルームは、9月末で契約満了となるため、

別のアパートを探します。「新しい景色を見るための活動」をしている身

長くいるわけでは無いのだから、割り切って狭い部屋にします。

断捨離も込めてね。

 

 

色々探して、家から6km程離れたところに、30㎡程度のスタジオルーム(ワンルーム) がたくさんある

マンションを発見、ワタクシが今住んでいるところと同じ系列のマンションで、

広さは違いますが、似たような作りです。

ただ、騒音や水回り等気になるところが無いか、一度確認したいと思いました。

 

部屋を見せてもらっても良いけど、どうせなら一度泊って確認したい。

色々調べてみたら、Airbnbで泊ることの出来る部屋が複数あるようなので、

一泊してみました。

 

初めてのAirbnb、 めちゃくちゃ簡単で便利、

「これならホテルを予約する必要ないのでは?」 なんて思いました。

 

金曜夜のチェックインだったので、外は真っ暗

ホテルみたいな感じで、悪くない。

キッチンも広めで良さげ。

一泊した感じ、問題なし。

 

前のマンションがファミリー向けの部屋が多かったのに対し、

こちらは単身向けの部屋が多いせいか、国籍も豊かな感じです。

 

どの部屋でも、似たような間取りで、イメージし易く、

部屋もそれなりにあるようなので月末の引っ越しに向けて、準備を進めていきます。

 

昨年12月から続けてきた、「新しい景色を見るための活動」

 

職務経歴書をブラッシュアップしたり、応募した会社用の志望動機をたくさん

作っている中、本業も忙しく、引っ越しの準備。

 

一方、春にも肋骨を折ってしまったボールホッケーで、プレー中にギックリ腰、

動けなくなりました。。。

 

今年は41歳。これって、本厄のせい??

 

なんて、色々考えている内に、心身ともに疲れてきました。

 

そもそも、「新しい景色を見るための活動」って何のために行っているのだろう?

 

 

日本に帰りたいから?

神奈川県某所に住みたいから?

クルマが欲しいから?

今の仕事が嫌だから?

今のキャリアをどうしたいの?

そして、仮に新しい会社に行ったとして、それで満足するのか?

 

ってな感じで、どのように進めばよいのかが、

全く分からなくなってしまいました。

 

 

 

 

暫くの間、フリーズ。

 

 

 

 

考えたのは、

 

今の仕事は嫌だけど、今の会社は嫌いではない。

人間関係においても、不満は無い。

仮に、「新しい景色を見るための活動」が成功して、

実質ゼロからのキャリアと、新しい人間関係からのスタート。

うまくいくかはわからない。

 

 

 

 

 

最終的に出した答えは、

 

 

 

 

親会社の「ある制度」を使うことでした。

 

 

この制度は、「地域限定勤務」制度。

その名の通り、転勤の無いポジション、これを使い、東京での勤務とするのです。

つまり、「新しい景色」を見るのではなく、留まることを意味します。

 

 

 

そもそも東京にある支店は、新卒で入社し7年間勤務した場所。

その後4年間の大阪を経て、ベトナムへ。

そのため、今でも知っている人たちも多く、勝手知ったる場所。

 

 

 

異動願いを出して、東京支店勤務とし、転勤無し制度を使えば、ワタクシの希望は叶う。

 

そして、会社にお願いして、ベトナムの工場を日本から支え定期的に出張

出来るようなポジションを新設してもらえないか、

 

 

 

神奈川県某所にも住むことが出来、

変わらずベトナムの仕事が出来る。

無理に、「新しい景色」を見なくても良い。

 

 

自分のひらめきってすごくない???

 

 

さっそく、プレゼン資料を作り、

日本にいる上司である役員へ相談と提案を行いました。

 

 

結果、

 

 

駐在期間が長くなっており、帰任の検討はしている最中。

東京支店勤務は構わないが、ベトナムに携われるかはわからない。

 

 

という、お話でした。

 

 

ベトナムに携わることが出来ないかもしれないのは、

少し残念ではありますが、そもそも「新しい景色」にベトナムがあるかどうかは

わからないので、一旦良しとしましょう。

 

 

自分の伝えたいことは伝えたので、後は先を待つのみです。

 

 

 

そうしている内に、引っ越しの日程が近づいてきました。

また、引っ越しの最中に、面接が一件入りました。

 

またしてもバタバタです。。。

 

 

次の投稿は、【新居のトラブルと、もう一つの新しい考え】 です。

【マイルストーン】前回ブログから、今までを振り返る(3) 

 

前回ブログ 25年2月から、今に至るまでの記録ブログ。

4回に分けて、

(1) 25年3-4月、

(2) 25年5-6月、

 

今回は25年7-8月を振り返ります。

マイルストーンとあるように、家族の引っ越し、日本での新生活スタートの

お話です。

 

sagamisaganaka.hatenablog.jp

 

sagamisaganaka.hatenablog.jp

 

 

「新しい景色を見るため」と称して始まった活動も、

早いもので8カ月が経過しました。

 

当時は長く感じたものの、思えばあっという間であったと改めて感じます。

 

 

7月は家族の本帰国に向け、家の片付けが始まりました。

 

といっても、ワタクシはまだ残るので、完全に家を空にする必要もなく、

日本に持って帰るモノの整理が中心です。

 

今住んでいる部屋と比較し、面積比較で70%程度になるので、

日本のトランクルームに残っている家財も考慮しつつ、ベトナムにある不要なものは

処分するか、誰かにあげるかして、減らしていきます。

 

 

 

運とタイミングが良かったのか?

 

「新しい景色を見るための活動」において、

 

一件、エージェントより、今の製造業とは大きく異なる、

某有名ホテルの海外拠点管理

 

紹介を頂き、経験が非常にマッチしているということで、

すんなり書類選考を通過、初の一次面接に臨みました。

 

(上司になるであろう) 海外戦略室の部長の方との面接、

話が盛り上がり、その部長からの質問に対し、

その方の思う理想通りの回答が出来て、まさかの一次面接も通過致しました。

ここまでは、7月中旬のお話。

 

そして、SPI試験。それなりに準備は行ったものの、非言語(数学系)はやはりダメ。

まともに答えられたものがなかったくらい、悪い出来でした。

 

なぜか、奇跡的に、SPIを通過し、役員面接、つまり最終面接です。

これまで苦労してきた中で、ここまで進むとは夢にも思いませんでした。

 

 

家族の本帰国日は、7月27日。私も6日間、手伝いのため、一時帰国します。

この間で、最終面接を実施出来るよう、エージェントを経由して、先方と

調整を行いました。

 

 

活動が目標通りに進めて、本当に良かった。

今は引っ越しの作業を頑張ろう。そんなところでした。

 

 

 

7月25日金曜日で、航空便、船便の荷物も家から出て行き、

7月28日の月曜日が出発の日。

 

ワタクシ、土曜日26日は仕事のため、日曜日は家族とハノイで過ごす最後の時間。

 

子供の希望もあり、引っ越し当日の朝にプールへ。

最後にバイクで近所を一周。

ホテルに前泊するため、夕方にマンションのお友達とお別れ。

バタバタと荷造りに追われつつ、

翌朝は8:25発の羽田空港行き、6:00には空港到着が必要なため

近くのホテルに前泊。

 

1日目月曜日

 

朝5:00、4人で100kg近い荷物を持って、空港に向けて移動です。

 

Vietnam Air 8:25 羽田行き、関東に家族で行くのは初めてです。

15:30に羽田空港へ到着。


100kg近い荷物を持って、神奈川県某所まで移動するのは大変なので、
ワゴンタクシーを予約。

 

ワタクシや妻は懐かしい~っていう思い。

 

長女は、「都会だな~」、と思う一方、新しいところは大丈夫だろうか? と不安気味。

 

次女は、「ここはどこだろう~?」っていう感じで、不思議そうに外を見ています。

 

 

渋滞している高速道路を通り抜け、神奈川県大和市に夜6:30到着。

家財が揃っていないこと、片付けにも時間が掛かると考え、東横インに4泊です。

 

日本について最初の夕食。久しぶりの海鮮に感動。

 

2日目火曜日

 

100kg近い荷物を運ぶのに、タクシーでは大変であろうと判断し

事前にレンタカーを予約。

 

軽ワンボックスの積載能力に感動。100kg近い荷物がラゲッジスペースに収まり、4人乗って移動が出来ました。

 

 

軽ワンボックスのレンタカーを、早朝電車に乗って取りに向かい、

再びホテルに戻り、全ての荷物を詰め込みました。

 

そして、居住地のある市役所へ向かい、転入届を提出、児童手当、子供の医療費助成、

教育委員会上水道の手続き、家族は海外からの転入故に、2時間近く掛かりました。

手続きだけでもこんなに掛かるとは思わず、加えて暑さもあり、疲れ気味。

 

過去のブログにも書きましたが、軽ワンボックスはやはり便利だと感じました。

 

その後、新居に到着。

 

エレベーターの無い、5階建て団地の5階。

家族は初めてです。

 

ベトナムでエレベーターに慣れ切った身体には、100kg近い荷物を5階まで上げるのは

一種のスポーツのようでした。

 

真夏、チノパンにワイシャツ姿、軍手も無く、

最後の荷物を5Fまで上げた後は、もう。。。

 

 

すぐに電気やガス、水道は使えるようになり、後はインターネット。

 

ところが、工事が来ない。。。

 

なぜ? 調べてみたら、、、

 

なんと、ワタクシ、インターネット申し込みの時点で

過去に住んでいた部屋の番号を記載していたようです。

※結局インターネットの開通には、3週間程掛かったのでした。

 

 

初日は、4年前レンタルボックスに預けた家財は、明日搬入なので、

家を掃除したり、先に届いたベッドを組み立てたり、そんな事をしながら

過ごしました。

 

 

慣れないことだらけで、家族皆ヘトヘト。。。

 

 

 

 

夕食は家族の希望で、回転寿司へ。魚べい というお店は初めてでした。

ワタクシ自身、回転寿司に来たのは6年振り、

平日のせいかレーンに寿司が全く無く、

全て注文しなければならないスタイルに、フードロス削減が進んでいることを

実感させてくれました。食料自給率が100%を余裕で越えているベトナムとは対極だと。

 

食べた後は、さっさとホテルに帰ってシャワー浴びて寝たいところでしたが、

洗濯機やガスレンジ、炊飯器等は4年前に処分してしまったので、

さっさと買わないと確実に生活が不便。

 

娘二人は疲れ切ってしまっているので、どうしたものか。

 

急遽、タイムズカーの登録を行い、クルマを借りて、娘二人をホテルへ送り届け、

その足で妻と二人で家電量販店へ行きました。

 

カーシェアリング、以前乗っていた車を売却した際にも使っていましたが、

パンデミックの3年間、帰国出来なかった期間に失効してしまい、

クルマに乗り込む際に必要なカードがありません。

 

しかし、今はどんどん進んで、スマホがカード代わりになると。

さっそくやってみました。いやぁ、本当に便利。

 

近くのヤマダ電機へ閉店間際に駆け込み、洗濯機、ガスレンジ、炊飯器を購入。


無事に家電を購入。

 

そして、クルマを返して、ホテルまで電車で二駅移動して、初日を終えたのでした。

 

 

 

3日目水曜日

 

朝から引っ越し業者がやって来ました。

さすがは引っ越し屋さん、屈強な男性方が、階段無し5階に、重量物もなんのその。

どんどん運んでいきます。

 

みな、ファン付きジャケットを着ており、ここ数年の酷暑で本当に普及したんだと

思いました。

 

ワタクシ自身、6年近く振りに見る、家財や自分の物。

予想以上に多く、ベトナムから輸送中の荷物も含めて、これから生活が出来るのか

不安になりました。。。

 

この日からは、関西から父が東京へ出張、こちらに来てもらい、作業を手伝ってもらいした。

父のクルマもあるので、買い出しも楽です。

 

レンタルボックスで預かってもらっていたテレビは壊れているようで

再び、家電量販店にて急遽購入。

 

4日目木曜日

 

空いた時間に仕事をしつつ、作業や、日用品の買い出し、10年前に住んでいた時に

お世話になった方々への挨拶等、時間はあっという間に過ぎていきます。

 


久しぶりに、たくさんの外食。

ベトナムでも食べられそうなものもたくさんありましたが、

日本で食べるとやはり違う。美味しくて美味しくて。びっくり。

ハノイに戻るのが嫌になってきます。

 

 

そう、

「新しい景色を見るための活動」が、滞在期間中に行われるはずでした。

最後の関門が。

 

待てど暮らせど、エージェントから連絡がありません。

一体どうなっているのでしょう???

 

スーツに革靴も持ってきたのに。

 

要約連絡が入り、その会社の方針変更で、一旦ポジション自体を見直す動きに

入ったとのこと。

 

まさかの事態に、啞然としました。

半分は、このために帰って来たのに。。。

仕方がありません。一から出直しです。

 

 

5日目金曜日

 

長女の制服の採寸等で、近くのイオンモールへ行きました。

ついでに、自分がベトナムに戻って食べるためのインスタント食品や、

会社へのお土産等も買います。

 

 

改めて、日本のスーパーにはたくさんの商品が並んでいて、

一日居ても飽きない感じです。

ますます、ベトナムに戻りたくなくなってしまいます。。。

 

普段甘い物は食べませんが、しばらく日本から離れるので、こんな高カロリーデザートまで。

 

この日の夜は、初めて自宅で寝ます。

この時は台風が来ており、翌日のフライトが心配でしたが、

全然大丈夫でした。家はもちろん狭いけど、快適でした。

 

6日目土曜日

 

夕方成田発のフライトで、ハノイへ戻ります。

 

家族が途中まで見送ってくれることになり、都内へ出ます。

海老名駅から小田急線に乗って、新宿へ。

 

近くには義理の妹家族が住んでおり、新宿駅で合流。

 

ワタクシは、バスタ新宿からリムジンバスに乗って、成田空港へと向かいます。

 

バスタ新宿から、成田空港に向けて出発。

 

成田空港では、千葉に住む弟家族が見送りに来てくれました。

 

姪っ子と甥っ子@成田空港

 

 

正直、ベトナムには戻りたくない。

 

そんな気持ちで一杯になっておりましたが、

これ以上の現実逃避は出来ないので、ベトナムに向けて出発しました。

 

とにかく、家族が早く新生活に慣れることを願うばかり。

 

そして、ワタクシ自身もなんとか戻れるように、

「新しい景色を見るための活動」を頑張るしかありません。

 

 

ハノイは日本より涼しいものの、どんよりした空気と湿度が少し身体にこたえます。

 

いつまで、ここにいるんだろうか??

 

あと、不思議なことに、あれだけ飲み食いしたにも関わらず、

体重は全く変わらず、むしろ身体のキレが増した感じ。

 

暑い夏、5階まで階段と、嫌でも歩かないといけなかったのが、

功を奏した感じでしょうか。

 

8月の残りは、疲れてしまったのか、これといった活動は無く

あっという間に過ぎていったのでした。

 

次のブログへと続けます。

 

【カスタマイズ8,9】 失敗 ボードウォークD5の足回り交換と今後は

ブログ投稿を半年お休みした後、

再開したわけですが、はてなブログ「ロス」といいますか

とにかく、ブログが楽しいのです。

今までであれば、「書かなければ」

と、思っていましたが、不思議なものです。

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みんな大好き、ミニベロトークのお時間です。

 

「クラシックミニ」とか、「俊敏なシティコミューター」なんて、ペットネームを付けたセカンドバイク、

 

ダホンボードウォークD5

 

【カスタマイズ8,9】として、

 

今回は、ホイール交換とタイヤ交換にチャレンジしました。

 

いきなりの完成写真

 

 

タイヤとホイールを買ったのは、今年の春頃。

 

仕事が忙しくて、「あーっ!」ってストレスが溜まっていた時、

 

中国通販Ali Express のアプリでブックマークしていたタイヤとホイール、

 

気が付いたら、アプリ内で、Payment Successful と表示されていました。。。

 

タイヤはすぐに到着しましたが、ホイールだけは、通関で引っかかり、

検査手数料だ、関税だ、色々時間とお金が掛かり、

ホイール代は、1.5倍位まで跳ね上がりました。

 

 

買ったタイヤは、シュワルベ ビリーボンカーズ 16x2.0

スポーティーなホイール。ボードウォークD5と同じ、5速のスプロケット付。

 

ホイールが届くまで、1ヶ月以上掛かり、実際に取付したのは、

6月頃。

 

オフロードっぽいデザインとギリギリのクリアランス。

 

16x2.0のシュワルベビッグアップルを取付していたので、

ブロックパターンに変わるだけで、問題なし。

だけど、相変らずのギリギリ。

 

スプロケットは5枚

 

問題はホイール。

オーバーナイトロック寸法 (ハブの幅) が、

フロント74mm、リア88mm これがボードウォークD5に

本当に適合するのか、不安でした。

 

タイヤを取り付け

 

このスポーティーなホイールは、スポーツ走行用としてビッグアップルとを

日常走行は、ノーマルホイールとビリーボンカーズを組み合わせることにしました。

 

色味を確認。

 

 

このスポーティーなホイール、

ブラック、シルバー、レッドとあり、本当はシルバーを購入する予定でした。

 

しかしながら、シルバーが品切れ、代わりのブラックも品切れ、

やむなくレッドになりました。

 

レッドも、色味によって全然違うので、

クラシックな見た目をスポイルしてしまうのか、気になっていましたが、

 

角度によっては、赤みがレーシーな感じに見えて、

クラシックさは消えてしまいますが、装着してみると、思ったよりましでした。

 

フロントは完成。ちょっと色味が違うな。。。

リアも取付完了。やはり少し色味が違う。

 

不安は的中。

 

リアはフレームのエンド幅に、微妙に合わず、

目一杯締め付けてなんとか、取り付け。これはダメかも。

 

ついでに、ギアの調整をしなければ、簡単にチェーンが外れてしまう。

 

このまま乗ったら、確実に危ないので、一旦保留とします。

 

残念ながら失敗です。

 

バラバラにして、スーツケースに。

 

このボードウォークD5ですが、

色々忙しく、乗る時間も無いことから、6月の一時帰国にて

日本へ持って帰り、しばらく実家で預かってもらうことにしました。

 

前後タイヤをフレームから外せば、大型のスーツケースに収まりました。

 

ダホン3兄弟。ボードウォークD7、K9X、ボードウォークD5

 

実家にて、ビリーボンカーズに換装したボードウォークD5に乗って

近所をうろうろしてみました。

ビッグアップルと比べて、ブロックタイヤ故にロードノイズが目立ちます。

 

また、滑らかな走りではなくなりました。

若干抵抗ある感じ。

 

ただ、路面の悪いハノイであれば、ビリーボンカーズの方が良いかもです。

 

同じ16インチで同じタイヤを装着した、ダホンK9Xとの2ショット

日本で販売されている、ダホンK9X。

こちらは、同じ16インチでも、アルミフレーム、9段変速、そして

ディスクブレーキ。

装備は充実していますが、重量は10kg位で、D5と同じくらい。

 

走りに大した差は無いかな。

と思っていましたが、全くの別物。

 

バイクで例えたら、

 

K9Xは4気筒のネイキッド  バリオス? 

ボードウォークD5は単気筒のスクランブラー  SR?

 

それ位違う気がします。

 

K9Xのアルミフレームのカッチリさが、ペダリングにおいて、ダイレクトに伝わっている感じがします。そしてつながりの良い、9速ミッション。

 

一方、クロモリフレームのD5は、しなる感じで、ペダリングでも柔らかい乗り味を感じられます。そしてワイドレンジな5速ミッション。

 

ガンガン走るK9X、まったり走るD5 

素材や仕様が違えば、こんなに違うのかと、驚いたものでした。

 

実家のミニベロ軍団。いつの間にか、ブロンプトンも仲間入り。

 

D5とは暫くお別れとなりましたが、

今は、メインバイクであるGARY FISHER COBIAとの時間を楽しんでおります。

 

8月のメンテナンスを兼ねたサイクリングでの一コマ



 

 

【苦労と一時帰国】前回ブログから、今までを振り返る(2) 

もう、11月なんですね。

ハノイは寒くて、雨ばかりの日々。

本来は行楽シーズンで、暑くなく、寒く無くの

一番良い気候のはずなのに。気候変動ですね。

今からちょうど6年前の3連休、当時乗っていた愛車を売却しました。

あれから、6年かぁ。ずいぶん遠くに来てしまったんだなぁ、なんて感じました。

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sagamisaganaka.hatenablog.jp

 

前回ブログ 25年2月から、今に至るまでの記録。

25年5月-6月は、どのように過ごしていたかというと、

 

タイトルの通り、【苦労】したことと、【一時帰国】のお話です。

 

 

4月30日~5月4日と、今年は長めのお休みになりました。

休みが少ない国だけに、5連休は非常に貴重です。

 

家族は7月末で、本帰国することが決まり、ダナンへと旅行に行きました。

最後の家族旅行です。

 

夕方にダナン国際空港到着。ハノイから飛行機で約1時間20分。さほど遠くないので、ここは楽です。

 

海に面したホテルからの景色。良い感じ。

同じ場所から。いい景色だ。

海鮮を食べたいところですが、あまりベトナム料理が食べられない娘たちのために、こちらをチョイス。

新しい景色をみるための活動は欠かせません

夜も、新しい景色を見るための活動。この時はまだ余裕だった。

古都、ホイアンへも行きました。

美しい街並み。

お約束の船にも乗りました。

川に流したランタンへの願い事は、①家族が健康であること、②新しい景色を見るための活動が上手くいきますように

ダナンへは一度出張で行ったことがありましたが、旅行で行くとやはり違う。

第三の都市だけあって便利だし、かといって人が多すぎるわけでもない、

時間の流れ方もなんかゆったりしている。人気の場所であることが、よくわかりました。

ベトナム語も、南部発音と北部発音が混ざった感じで、聞き取りやすく、

中間って感じなんだなぁって思ったり。

 

Vietnamnet global 28/10/2025 14:07 (GMT+07:00) Storm surge turns Hoi An and Hue into flood zones amid record rains より

2025年10月末にホイアンは、洪水に見舞われました。早い復旧は願うばかりです。

 

 

仕事の方は、親会社では全く繋がりのない部門との共同プロジェクトが

昨年から始まり、それまで全く知らなかった方々とのやり取りが増え、

お偉いさん、お客様の対応と、そして、従来の業務は変わらずあり、

業務も守備範囲も大きく増えました。

 

そんな状況であったため、現地採用の日本人の採用を決め、

今年の初めから、募集、面接を行ってきました。

駐在員のアシスタントとして、幅広い仕事をやってもらい、将来ワタクシが

新しい景色を見るタイミングでも、スムーズに繋げていくためというのもあります。

不思議ですね、「採用側にもいる」ということが。

 

工場見学、複数回の面接含め、最終的に決まったのは

 

ベトナム在住10年、幼い子供3人と旦那さん含め5人で暮らし、英語、ベトナム語も話せ、元医療従事者、ベトナム日本語教師、不思議な経歴を持ち、かつ製造業は未経験という方。

 

長く働いてもらえること、そして何か違う風を取り込んでくれそうな印象があったので

この方の採用となったのです。

 

その方曰く、

 

「ワタクシは何でもやり過ぎている!?

 

ので、出来るだけスタッフに振っていけるように、

 

サポートする」と。

 

 

何でも、やり過ぎている。

 

確かにそうです。。。

 

駐在員はワタクシ以外に2人いますが、

それぞれ製造、品質業務、設計開発等に従事、

 

安定的な生産、品質管理を行ってもらうよう、とにかく

彼らの負担を減らすことに徹していました。

 

自分は、舵取り役として、全体把握、金回り含めた管理業務全般、営業、

親会社の対応、営業、色々なことをやっておりました。

 

 

正直しんどかったのですが、「舵取り役であるのだから、そういうものだ」

自分自身に鞭を打ちつつ、諦め半分の気持ちで過ごしておりました。

 

 

その方から見たら、

 

ワタクシが、田舎の駅長のように、色々な仕事をこなし、

かつベトナム語でスタッフとコミュニケーションを取っていることに、

驚いたようです。

この人は、一般的な日系企業の駐在員とは違うと。

 

 

ちなみに、ベトナム語でコミュニケーションを取るようになったのは、

4年程前、インドネシアに駐在していた同期が、仕事の指示を現地語で行っている話を聞いて、

自分もそうなりたい。と思ったことでした。

ベトナム語で会話するのは楽しいですが、

忙しい時、急ぎの時はジレンマを感じたりすることが時々ありました。

 

 

その方の協力もあり、Googleを活用した、様々な共有ツールを活用し、

業務の効率化が進みました。

 

Googleに様々なチャット、流石はSNSが大好きなベトナム人、簡単に使いこなします。

それに比べて、親会社の年配の方々は。。。

 

残念ながら、この方は家庭の都合で後に退職されますが、

アルバイト勤務にて、継続してサポート頂きました。

本当に良い出会いでしたし、感謝です。

 

会社からの帰り道。近くの格安ホテルへ。

チェックイン時。まさかの停電。めちゃくちゃ暑い。

屋台?で、朝ご飯を買う。

 

 

新しい景色を見るための活動は、続きます。

相変らず、時々近所の格安ホテルに泊まって、活動して。の通勤です。

 

7月末に家族の本帰国があり、

自分も同じタイミングで一時帰国すること、そして年末までのスケジュールも考えると、

ここで

 

「新しい景色を見るための活動は、7月末で最終ステージにいなければならない」

 

追い込みました。

 

が、しかし・・・

 

 

活動に必要な書類が上手く書けない。

申し込んでも、第一ステージにも進めない。

 

初めて、この活動の苦労を知りました。

 

自分自身が否定されたような、

「これまで頑張ってきたのは、何だったのか?」

って。

 

奇跡的に見つかった、3LDKのお部屋

 

 

一方、後2か月以内に日本に戻るのに、家が決まっていない。

これもストレスでした。

 

わざわざ探しに帰るわけにもいかないので、ネットで何とか探さなければならない。

 

一戸建ての賃貸を中心に探していましたが、なかなか良い条件は見つからない。

 

タイミングよく、昔住んでいたURの中で、 3LDKが一部屋が空いているのを発見しました。

ここは、1988年に建てられた団地で、5F建てエレベーター無しですが、

駅から近く、平坦で、周りにスーパーもあり便利なので、

空室があってもすぐに埋まるのです。

 

過去住んでいた2010年~2015年頃は空室もそれなりにあったような気がしますが、

外国の方が増えたせいか、URを探すのも難しくなってきました。

 

 

会社から不動産会社へ問い合わせ、PDFでもらった申込書類を記入、

後日、オンライン内見も行いました。

 

この神奈川でも、京都でも住んでいたURと似たような間取りなので、

レイアウトは考えやすいです。

 

 

しかし、建物違いとは言え、また同じ団地に住むとは。人生不思議なものです。

 

いや、10年前に心に誓った? 「(神奈川県)某市に帰ろう」という思いが、

引き寄せたのでしょう。

 

ということに、しておきます。

 

 

 

契約には、住民票が必要とのこと。

しかしながら、私たち家族は現在、非居住者なので、なんとかしなければ。

 

ということで、ワタクシのみ一時帰国、一旦実家に戻り、実家に籍を入れて、

住宅の契約を行うことにしました。

 

ちなみに、こんな方法もChat GPTが教えてくれました。

仕事のやり方も変わり、大活躍。非常に有難い存在です。

 

こんな画像が出てしまうと、神奈川県某所でも分かってしまいますね。この周辺の市町村です。

東京に用事がある両親も一緒に神奈川入り。朝6時半の新幹線にて。グリーン車で贅沢させてもらいました。

妻に頼まれて、この買い物かご4つ分くらいの、お菓子やコーヒー等を買いました。お陰で帰り道は大変。

帰りは成田空港から、ハノイへ。成田空港国際線に来たのは、東京で働いていた11年以上振りか!?

 

実家が関西にあるので、関西空港経由。日曜日の深夜便で、翌日昼前に実家入り。

市役所に行き、実家に籍を入れて、その日はゆっくり過ごし、

翌朝は早朝の新幹線で神奈川入り。

 

両親も東京で用事があるため、一緒にやって来ました。

 

不動産屋へ行き、本契約。その後に、実際の住居を見せてもらいました。

その後は、日本人学校や幼稚園のお友達に配るための餞別となるお菓子を

大量に購入、夜は都内から弟も神奈川迄やって来て、宴会。

久しぶりに、両親、弟と楽しい時間を過ごしました。

 

翌日、エージェントと面談を行い、夕方の飛行機にて成田空港からハノイへと戻ってきました。

 

 

 

 

こうして、日本での生活に向けて準備が進むと、

ベトナム生活の終わりが近づいていることを改めて感じさせます。

 

次のブログへと続きます。

 

 

 

新しい景色を見る活動に苦労している時、娘のぬいぐるみに癒されている画像。お気に入りの屋台飯+ビール

 

【方針が決まる】前回ブログから、今までを振り返る(1)

前回ブログ 25年2月から、

25年3月-4月は、どんなように過ごしていたかというと、

 

タイトルにある、【方針が決まる】、で何が決まったのか? と言いますと、

家族の本帰国するタイミングです。

 

その前に、

 

前回のブログに書いていなかった内容として、

 

「新しい景色」※を見るための活動 (※今後、転職をこのような表現で記載します) 

で役立たせるべく、受験したTOEICのスコアは、770ptsと、

目標としていた800ptsには及ばず。。。

 

中途半端ですが、まぁ、このままいきます。

そして、活動のために必要な経歴書作成に苦労し、オンラインでのSPIテストの難しさに

衝撃を覚え、これはブログどころではない。ということで、長期のお休みに入りました。

 

 

また、2月までで決めた大きな内容として、どこに住むかでした。

 

持ち家も無いこと、実家近くで無いといけないといった制約もないため、

どこにしようか考えました。

 

当初は、以前住んでいた関西某所のURはまだ空いていたので、

そこに再び住むことを考えました。

 

長女にとっても、以前いた小学校の子が多いであろう中学校に通えば、すんなり溶け込めるものかと思いましたが、もう中学生、小学校低学年の時に仲良かったとはいえ、4年も前。

それって難しくない? そんなことを思うようになりました。

 

逆にベトナム生活でメリットとなっていた、両親、義両親との距離感。

関西のその場所に住んでしまうと、一気に近くなり、悪いとは言いませんが、

不便なことも出てきてしまうかも。

 

場所の制約なし、双方の実家との適度な距離感、「新しい景色」がたくさん見える場所、、、

活動を始めた、12月からずっと考えていました。

 

で、1月のTet休みに一時帰国した際、日帰りで東京へ一人行って来たのです。

 

新卒から7年勤務し、大阪へ異動してベトナムに来るまでの4年半、毎月通った地。

5年数カ月ぶりでした。

 

神奈川県某所

 

そして、結婚して5年間住んだ神奈川県某所(2010~2015年)、こちらも訪問しました。

長女は3歳手前までこの場所で育ちました。

環境も良く、当時妻は大変気に入っていたのを覚えていました。

 

ベトナムが目まぐるしく変化する中で、この神奈川県某所は (鉄道が便利になったり、建物が少し増えたりはしていますが) 全くと言っていいほど、変わっていない景色に、安心感を覚えました。

 

やっぱりこの地が好きなんだと。

 

ちょうど10年前2015年の3月、東京から大阪に転勤、

一番嫌だったのは、この気に入った地を離れなければならないことでした。

その時に、頭に浮かんだのは、「いつか○○※に帰ろう」※神奈川県某所

 

時は過ぎ、ベトナムにやって来て、こんなことすっかり忘れていましたが

5年ぶりに訪問して、10年前、頭に浮かんだことを思い出しました。

 

自分なりに考えたのは、

 

①「新しい景色」の数は、関東の方がやはり多く、関西で勤務しても異動の可能性が出てくる。

 

②神奈川県某所は、ワタクシにとっても思い入れの場所で、機会があれば再び住みたい。と思っていた場所。

 

③そして、ハノイ日本人学校、幼稚園で出来た友達、ママ友についても、関東の人が

かなり多く、戻っても時々会って遊んだりできる可能性が高いこと。

 

④両親、義両親との適度な距離感があること。

 

⑤妻の妹家族、ワタクシの弟家族も関東地方に住んでおり、何かあっても

安心なこと。

 

条件は揃っています。

 

しかしながら、本当にこれで良いのか、

妻や両親、義両親も納得するのか。あれこれ悩みました。

 

 

最後は、人生一度切り。出来る限り、自分のやりたいようにやろう。

そして自分の思いを伝えて納得してもらい、神奈川県某所に住むことに決まりました。

 

(ちなみに妻は、私が東京へ行ったのをみて、本帰国したら、神奈川県某所に再び住むのかと思っていたようです)

 

非常に長い前置きとなりましたが、ここからです。

 

 

夏に決定、秋で引継ぎ、そして2025年12月1日を「新しい景色」を見ている。

というロードマップを作りました。

 

家族も、このタイミングで共に本帰国です。

しかし、「新しい景色」≒ 「今の環境とは揉めるリスク」、があるのでは?

良く聞く話なので、ある程度の覚悟は出来ています。

 

だけど、もし家族の引っ越し費用や航空券代を出してもらえず、

自己負担となれば。。。

 

国際引っ越しで、4年近く住んでいる家財だらけのベトナム、費用も相当になることが

既に分かっています。

 

そんなことを親会社に聞けるわけも無く、考えたのが、

先に家族を日本へ返すことでした。これであればノーリスク。

 

卒園

卒業

3月で、小学校を卒業、幼稚園を卒園、

 

3/20 国際女性の日 買い物ついでに、妻へ路上で売っている花を買って帰る。

 

 

4月からは、長女は中学生、次女は小学生、

短いけれども、1学期でハノイ日本人学校を退学して、夏休みに引っ越し、

現地に慣れてもらい、2学期から新しい学校という形であれば、家族の負担も

少ないのかと思い、妻と相談、決定しました。

 

残り3.5か月程、家族と過ごせる残り期間を大切にします。

3月末から4月頭は、家族旅行でフーコック島へ行ってきました。

 

フーコック島のウォーターパーク

フーコック島のグルメ

フーコック島カンボジア寄りの海岸と娘たち

フーコック島の海岸沿いのカフェで頂くレモネード

フーコック島のロープウェイ

4月に上旬は、日本人学校の入学式です。

小学部、中学部、6歳差ゆえに、どちらも入学式。

 

日本人学校入学式 なぜ、令和7年度と書かれていないのかが謎。

 

仕事は忙しいながらも、家庭生活を充実、

新たにカナダ人コミュニティで行われている、ボールホッケーに

昨年12月から参加するようになりました。

 

体育館で行うホッケー、道具等はアイスホッケーに近く、ボールを使用する。

 

ホッケーは十数年ぶり、弱った身体は激しい動きに付いていけず、3月は肋骨の骨折。

もう若くないのだと痛感。。。

 

一方の、「新しい景色」を見るための活動は、

ちらほらエージェントとの面談が始まりました。

 

通勤経路

 

日本とは2時間の時差。仕事中に面談するわけにはいかず、

会社にマウンテンバイクを置いて、会社近くの安ホテルに泊まり、

ベトナム時間7:00から、面談を行っていました。

夜はひたすら、職務経歴書や志望動機の作成。

 

結構ハードながら、時間が経つのはあっという間でした。

 

4月29日は南部開放記念日(サイゴン陥落) 50周年ということで、マンションからベランダに国旗を取り付けるようにと、配られました。

 

そして、4月末からは、最後の家族旅行へ行きました。

次のブログで続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【戻ってきました】前回ブログから、今までを振り返る(0)

はてなブログ【戻ってきました】

お休みしていた8カ月間、本当に色々なことがありました。

今年2025年は、ベトナムに駐在していた中で、最も思い出深い1年になりそうです。

 

ブログネタがたくさんありますが、それらのネタを一つ一つ記事として投稿していたら、

時間が全く足りませんので、以下のように、2か月単位で振り返る形で

これから、投稿していきます。

 

 

2025年 3-4月分 

【方針が決まる】前回ブログから、今までを振り返る(1)

 

2025年 5-6月分 

【苦労と一時帰国】前回ブログから、今までを振り返る(2) 

 

2025年 7-8月 

マイルストーン】前回ブログから、今までを振り返る(3) 

 

2025年 9-10月 

【新生活と新しい考え】前回ブログから、今までを振り返る(4) 

 

 

【次は日本から?】しばらくブログ更新はお休み

 

ベトナムにやってきて、5年と3ヶ月。

今となってはなんだったんだろうと感じる、あのパンデミックで、家族に会えない期間が、1年半、日本への一時帰国も3年間出来ませんでした。

 

パンデミックが終わると、時間か経つのも早いもので、去年からは急に忙しくなり、更に加速した感じがします。

 

良かったことも、辛かったことも含め、色々な経験をさせてもらえたベトナム駐在生活ですが、先を見た時に、このままで良いのか?

と思うことが増えてきました。

 

先の見えない駐在生活、

昨年から強烈に忙しくなり、休みの無い生活、

帰任しても、駐在のキャリアが活かせるかは不明、

そして、どこに勤務するのかもわからない。

また違う国かもしれない。

 

 

といった感じで、考えれば考える程、

 

「人生一度、我慢までして続けても、後になって後悔するのでは?、体調は大丈夫?」

 

と、心の声が聞こえてきます。

 

自分の中でも、新しい景色を見たくなってきました。

 

ということで、

 

今年の途中で、家族には先に戻ってもらい、

荷物を片付け、身軽な状態で、

残り数カ月、転職活動、現職の引継ぎで過ごし、

年末には日本にいられるような目標を立てました。

 

 

色々悩みましたが、限られた時間でやらなければならないことが多く、一旦ブログ更新をお休みします。

 

 

落ち着いたら、また再開します。

 

【次は日本から?】ブログ投稿が再開出来たらと思います。ということで、また会いましょう。では。

 

(もしかしたら、途中で再開するかもですが)