もう、11月なんですね。
ハノイは寒くて、雨ばかりの日々。
本来は行楽シーズンで、暑くなく、寒く無くの
一番良い気候のはずなのに。気候変動ですね。
今からちょうど6年前の3連休、当時乗っていた愛車を売却しました。
あれから、6年かぁ。ずいぶん遠くに来てしまったんだなぁ、なんて感じました。
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前回ブログ 25年2月から、今に至るまでの記録。
25年5月-6月は、どのように過ごしていたかというと、
タイトルの通り、【苦労】したことと、【一時帰国】のお話です。
4月30日~5月4日と、今年は長めのお休みになりました。
休みが少ない国だけに、5連休は非常に貴重です。
家族は7月末で、本帰国することが決まり、ダナンへと旅行に行きました。
最後の家族旅行です。










ダナンへは一度出張で行ったことがありましたが、旅行で行くとやはり違う。
第三の都市だけあって便利だし、かといって人が多すぎるわけでもない、
時間の流れ方もなんかゆったりしている。人気の場所であることが、よくわかりました。
ベトナム語も、南部発音と北部発音が混ざった感じで、聞き取りやすく、
中間って感じなんだなぁって思ったり。

2025年10月末にホイアンは、洪水に見舞われました。早い復旧は願うばかりです。
仕事の方は、親会社では全く繋がりのない部門との共同プロジェクトが
昨年から始まり、それまで全く知らなかった方々とのやり取りが増え、
お偉いさん、お客様の対応と、そして、従来の業務は変わらずあり、
業務も守備範囲も大きく増えました。
そんな状況であったため、現地採用の日本人の採用を決め、
今年の初めから、募集、面接を行ってきました。
駐在員のアシスタントとして、幅広い仕事をやってもらい、将来ワタクシが
新しい景色を見るタイミングでも、スムーズに繋げていくためというのもあります。
不思議ですね、「採用側にもいる」ということが。
工場見学、複数回の面接含め、最終的に決まったのは
ベトナム在住10年、幼い子供3人と旦那さん含め5人で暮らし、英語、ベトナム語も話せ、元医療従事者、ベトナムで日本語教師、不思議な経歴を持ち、かつ製造業は未経験という方。
長く働いてもらえること、そして何か違う風を取り込んでくれそうな印象があったので
この方の採用となったのです。
その方曰く、
「ワタクシは何でもやり過ぎている!?
ので、出来るだけスタッフに振っていけるように、
サポートする」と。
何でも、やり過ぎている。
確かにそうです。。。
駐在員はワタクシ以外に2人いますが、
それぞれ製造、品質業務、設計開発等に従事、
安定的な生産、品質管理を行ってもらうよう、とにかく
彼らの負担を減らすことに徹していました。
自分は、舵取り役として、全体把握、金回り含めた管理業務全般、営業、
親会社の対応、営業、色々なことをやっておりました。
正直しんどかったのですが、「舵取り役であるのだから、そういうものだ」
自分自身に鞭を打ちつつ、諦め半分の気持ちで過ごしておりました。
その方から見たら、
ワタクシが、田舎の駅長のように、色々な仕事をこなし、
かつベトナム語でスタッフとコミュニケーションを取っていることに、
驚いたようです。
この人は、一般的な日系企業の駐在員とは違うと。
ちなみに、ベトナム語でコミュニケーションを取るようになったのは、
4年程前、インドネシアに駐在していた同期が、仕事の指示を現地語で行っている話を聞いて、
自分もそうなりたい。と思ったことでした。
ベトナム語で会話するのは楽しいですが、
忙しい時、急ぎの時はジレンマを感じたりすることが時々ありました。
その方の協力もあり、Googleを活用した、様々な共有ツールを活用し、
業務の効率化が進みました。
Googleに様々なチャット、流石はSNSが大好きなベトナム人、簡単に使いこなします。
それに比べて、親会社の年配の方々は。。。
残念ながら、この方は家庭の都合で後に退職されますが、
アルバイト勤務にて、継続してサポート頂きました。
本当に良い出会いでしたし、感謝です。



新しい景色を見るための活動は、続きます。
相変らず、時々近所の格安ホテルに泊まって、活動して。の通勤です。
7月末に家族の本帰国があり、
自分も同じタイミングで一時帰国すること、そして年末までのスケジュールも考えると、
ここで
「新しい景色を見るための活動は、7月末で最終ステージにいなければならない」
追い込みました。
が、しかし・・・
活動に必要な書類が上手く書けない。
申し込んでも、第一ステージにも進めない。
初めて、この活動の苦労を知りました。
自分自身が否定されたような、
「これまで頑張ってきたのは、何だったのか?」
って。

一方、後2か月以内に日本に戻るのに、家が決まっていない。
これもストレスでした。
わざわざ探しに帰るわけにもいかないので、ネットで何とか探さなければならない。
一戸建ての賃貸を中心に探していましたが、なかなか良い条件は見つからない。
タイミングよく、昔住んでいたURの中で、 3LDKが一部屋が空いているのを発見しました。
ここは、1988年に建てられた団地で、5F建てエレベーター無しですが、
駅から近く、平坦で、周りにスーパーもあり便利なので、
空室があってもすぐに埋まるのです。
過去住んでいた2010年~2015年頃は空室もそれなりにあったような気がしますが、
外国の方が増えたせいか、URを探すのも難しくなってきました。
会社から不動産会社へ問い合わせ、PDFでもらった申込書類を記入、
後日、オンライン内見も行いました。
この神奈川でも、京都でも住んでいたURと似たような間取りなので、
レイアウトは考えやすいです。
しかし、建物違いとは言え、また同じ団地に住むとは。人生不思議なものです。
いや、10年前に心に誓った? 「(神奈川県)某市に帰ろう」という思いが、
引き寄せたのでしょう。
ということに、しておきます。
契約には、住民票が必要とのこと。
しかしながら、私たち家族は現在、非居住者なので、なんとかしなければ。
ということで、ワタクシのみ一時帰国、一旦実家に戻り、実家に籍を入れて、
住宅の契約を行うことにしました。
ちなみに、こんな方法もChat GPTが教えてくれました。
仕事のやり方も変わり、大活躍。非常に有難い存在です。




実家が関西にあるので、関西空港経由。日曜日の深夜便で、翌日昼前に実家入り。
市役所に行き、実家に籍を入れて、その日はゆっくり過ごし、
翌朝は早朝の新幹線で神奈川入り。
両親も東京で用事があるため、一緒にやって来ました。
不動産屋へ行き、本契約。その後に、実際の住居を見せてもらいました。
その後は、日本人学校や幼稚園のお友達に配るための餞別となるお菓子を
大量に購入、夜は都内から弟も神奈川迄やって来て、宴会。
久しぶりに、両親、弟と楽しい時間を過ごしました。
翌日、エージェントと面談を行い、夕方の飛行機にて成田空港からハノイへと戻ってきました。
こうして、日本での生活に向けて準備が進むと、
ベトナム生活の終わりが近づいていることを改めて感じさせます。
次のブログへと続きます。
