WANT TO と HAVE TO の間にはさまれて

WANT TO と HAVE TO の間にいます

ベトナム勤務7年目

【方針が決まる】前回ブログから、今までを振り返る(1)

前回ブログ 25年2月から、

25年3月-4月は、どんなように過ごしていたかというと、

 

タイトルにある、【方針が決まる】、で何が決まったのか? と言いますと、

家族の本帰国するタイミングです。

 

その前に、

 

前回のブログに書いていなかった内容として、

 

「新しい景色」※を見るための活動 (※今後、転職をこのような表現で記載します) 

で役立たせるべく、受験したTOEICのスコアは、770ptsと、

目標としていた800ptsには及ばず。。。

 

中途半端ですが、まぁ、このままいきます。

そして、活動のために必要な経歴書作成に苦労し、オンラインでのSPIテストの難しさに

衝撃を覚え、これはブログどころではない。ということで、長期のお休みに入りました。

 

 

また、2月までで決めた大きな内容として、どこに住むかでした。

 

持ち家も無いこと、実家近くで無いといけないといった制約もないため、

どこにしようか考えました。

 

当初は、以前住んでいた関西某所のURはまだ空いていたので、

そこに再び住むことを考えました。

 

長女にとっても、以前いた小学校の子が多いであろう中学校に通えば、すんなり溶け込めるものかと思いましたが、もう中学生、小学校低学年の時に仲良かったとはいえ、4年も前。

それって難しくない? そんなことを思うようになりました。

 

逆にベトナム生活でメリットとなっていた、両親、義両親との距離感。

関西のその場所に住んでしまうと、一気に近くなり、悪いとは言いませんが、

不便なことも出てきてしまうかも。

 

場所の制約なし、双方の実家との適度な距離感、「新しい景色」がたくさん見える場所、、、

活動を始めた、12月からずっと考えていました。

 

で、1月のTet休みに一時帰国した際、日帰りで東京へ一人行って来たのです。

 

新卒から7年勤務し、大阪へ異動してベトナムに来るまでの4年半、毎月通った地。

5年数カ月ぶりでした。

 

神奈川県某所

 

そして、結婚して5年間住んだ神奈川県某所(2010~2015年)、こちらも訪問しました。

長女は3歳手前までこの場所で育ちました。

環境も良く、当時妻は大変気に入っていたのを覚えていました。

 

ベトナムが目まぐるしく変化する中で、この神奈川県某所は (鉄道が便利になったり、建物が少し増えたりはしていますが) 全くと言っていいほど、変わっていない景色に、安心感を覚えました。

 

やっぱりこの地が好きなんだと。

 

ちょうど10年前2015年の3月、東京から大阪に転勤、

一番嫌だったのは、この気に入った地を離れなければならないことでした。

その時に、頭に浮かんだのは、「いつか○○※に帰ろう」※神奈川県某所

 

時は過ぎ、ベトナムにやって来て、こんなことすっかり忘れていましたが

5年ぶりに訪問して、10年前、頭に浮かんだことを思い出しました。

 

自分なりに考えたのは、

 

①「新しい景色」の数は、関東の方がやはり多く、関西で勤務しても異動の可能性が出てくる。

 

②神奈川県某所は、ワタクシにとっても思い入れの場所で、機会があれば再び住みたい。と思っていた場所。

 

③そして、ハノイ日本人学校、幼稚園で出来た友達、ママ友についても、関東の人が

かなり多く、戻っても時々会って遊んだりできる可能性が高いこと。

 

④両親、義両親との適度な距離感があること。

 

⑤妻の妹家族、ワタクシの弟家族も関東地方に住んでおり、何かあっても

安心なこと。

 

条件は揃っています。

 

しかしながら、本当にこれで良いのか、

妻や両親、義両親も納得するのか。あれこれ悩みました。

 

 

最後は、人生一度切り。出来る限り、自分のやりたいようにやろう。

そして自分の思いを伝えて納得してもらい、神奈川県某所に住むことに決まりました。

 

(ちなみに妻は、私が東京へ行ったのをみて、本帰国したら、神奈川県某所に再び住むのかと思っていたようです)

 

非常に長い前置きとなりましたが、ここからです。

 

 

夏に決定、秋で引継ぎ、そして2025年12月1日を「新しい景色」を見ている。

というロードマップを作りました。

 

家族も、このタイミングで共に本帰国です。

しかし、「新しい景色」≒ 「今の環境とは揉めるリスク」、があるのでは?

良く聞く話なので、ある程度の覚悟は出来ています。

 

だけど、もし家族の引っ越し費用や航空券代を出してもらえず、

自己負担となれば。。。

 

国際引っ越しで、4年近く住んでいる家財だらけのベトナム、費用も相当になることが

既に分かっています。

 

そんなことを親会社に聞けるわけも無く、考えたのが、

先に家族を日本へ返すことでした。これであればノーリスク。

 

卒園

卒業

3月で、小学校を卒業、幼稚園を卒園、

 

3/20 国際女性の日 買い物ついでに、妻へ路上で売っている花を買って帰る。

 

 

4月からは、長女は中学生、次女は小学生、

短いけれども、1学期でハノイ日本人学校を退学して、夏休みに引っ越し、

現地に慣れてもらい、2学期から新しい学校という形であれば、家族の負担も

少ないのかと思い、妻と相談、決定しました。

 

残り3.5か月程、家族と過ごせる残り期間を大切にします。

3月末から4月頭は、家族旅行でフーコック島へ行ってきました。

 

フーコック島のウォーターパーク

フーコック島のグルメ

フーコック島カンボジア寄りの海岸と娘たち

フーコック島の海岸沿いのカフェで頂くレモネード

フーコック島のロープウェイ

4月に上旬は、日本人学校の入学式です。

小学部、中学部、6歳差ゆえに、どちらも入学式。

 

日本人学校入学式 なぜ、令和7年度と書かれていないのかが謎。

 

仕事は忙しいながらも、家庭生活を充実、

新たにカナダ人コミュニティで行われている、ボールホッケーに

昨年12月から参加するようになりました。

 

体育館で行うホッケー、道具等はアイスホッケーに近く、ボールを使用する。

 

ホッケーは十数年ぶり、弱った身体は激しい動きに付いていけず、3月は肋骨の骨折。

もう若くないのだと痛感。。。

 

一方の、「新しい景色」を見るための活動は、

ちらほらエージェントとの面談が始まりました。

 

通勤経路

 

日本とは2時間の時差。仕事中に面談するわけにはいかず、

会社にマウンテンバイクを置いて、会社近くの安ホテルに泊まり、

ベトナム時間7:00から、面談を行っていました。

夜はひたすら、職務経歴書や志望動機の作成。

 

結構ハードながら、時間が経つのはあっという間でした。

 

4月29日は南部開放記念日(サイゴン陥落) 50周年ということで、マンションからベランダに国旗を取り付けるようにと、配られました。

 

そして、4月末からは、最後の家族旅行へ行きました。

次のブログで続けます。